当時の黄門様は、編集に携わっていた「大日本史」をより充実したものにすることに加え、生き方において他の模範となるような人物を探し、その教えを水戸藩に伝えることを目的としていました。
そこでたどり着いたのが、当時明国(中国の歴代王朝の一つ)から日本に亡命し、長崎に居を構えていた名声高い儒学者の朱舜水でした。黄門様は身分の低い朱舜水のもとを直々にたずね、水戸藩へと迎え入れました。この時に黄門様は朱舜水をお手製の「うどん」でもてなしています。そして朱舜水はそのお礼として、中国式の「汁そば」を振る舞ったそうです。それが元となり、今日の「日本のラーメン」が生まれました。
黄門様の身分階級を超えた人に対するあたたかい姿勢が、異国の新たな食文化を日本に招き入れたのです。